空き家の片付けが進まない理由の一つに、
「もしかしたら価値のある物があるかもしれない」
という気持ちがあるように思います。
これは決して欲深い話ではありません。
人間なら誰でも考えることです。
最近はテレビや動画でも、
「空き家からお宝発見」
という話をよく見かけます。
古い掛け軸。
古銭。
切手。
時計。
着物。
あるいは昔のおもちゃや雑誌。
思わぬ高値が付いたという話も珍しくありません。
そういう話を聞くと、
「うちにも何かあるかもしれない」
と思うのは自然なことです。
古い物には、本当に価値があることもある
私自身、古本を扱っています。
そのため、
「古い物=価値がない」
とは思いません。
むしろ世の中には、
古いからこそ価値がある物も存在します。
何十年も前の本が売れることもあります。
昔は見向きもされなかった本が、突然注目されることもあります。
ですから、
「一応見ておこう」
という気持ちはよく分かります。
ただ現実は、それほど甘くありません。
価値のある物は確かにあります。
しかし大半の物は売れません。
売れても数百円ということも多い。
それでも人は、
「どこかにお宝があるかもしれない」
と思ってしまいます。
探し始めると終わらない
そして、その確認作業には膨大な時間がかかります。
地方の古い家になると、母屋だけではありません。
倉庫。
納屋。
押し入れ。
天袋。
探そうと思えば、いくらでも出てきます。
一つ一つ見ていけば何日もかかる。
仕事をしながら。
遠方から通いながら。
そう考えると、なかなか手が付けられません。
百軒見て九十九軒は何もない。
それでも、一軒だけ「当たり」があるかもしれない。
その可能性がある限り、人は簡単には諦められません。
だから厄介なのです。
本当に探しているのは、お宝なのだろうか
実は、「お宝探し」は物の価値だけの話ではないのかもしれません。
古いアルバムが出てくる。
子どもの頃の通知表が出てくる。
亡くなった親の手紙が出てくる。
そういう物を見つけると、片付けの手が止まります。
処分するつもりで来たのに、
思い出を眺めて一日が終わる。
そんな話もよく聞きます。
もしかすると人は、
お宝を探しているのではなく、
失った時間を探しているのかもしれません。
家族が元気だった頃。
子どもが家の中を走り回っていた頃。
親がまだ生きていた頃。
空き家には、そういう時間が閉じ込められています。
どこかで見切りをつけるしかない
しかし、どれだけ探しても、
すべてを確認することはできません。
人生をかけて集めた物の中に、
本当に価値のある物が残っているかもしれない。
そう思う気持ちは自然なことです。
実際に、思わぬ物が高値で売れることもあります。
だからこそ、
どこまで調べるのか。
どこで見切りをつけるのか。
その判断をするしかないのでしょう。
空き家は年月とともに傷みます。
庭木は伸びる。
修繕費は増える。
そして売る機会も少しずつ失われていきます。
空き家に残された物は、
資産であると同時に負担でもあるのです。
空き家問題には法律や税金の問題があります。
しかし実際には、
それ以上に「諦める決断」が求められる場面があります。
それは思っている以上に難しいことなのだと、私は思います。
※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。
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