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  • 解体すれば終わりなのか

    空き家の話をしていると、

    いつか必ず出てくるのが、

    「解体するかどうか」

    という問題です。

    住む人はいない。

    売れそうにもない。

    管理にも手間がかかる。

    それなら解体した方がいい。

    理屈で言えば、その通りです。

    ですが実際には、そう簡単にはいきません。


    解体にもお金がかかる

    解体にはお金がかかります。

    地方の木造住宅でも百万円以上。

    家が大きければ二百万円、三百万円かかることもあります。

    しかも、更地にしたからといって売れるとは限りません。

    地方では、家だけでなく土地そのものの需要も弱くなっています。

    解体費をかけて更地にしたのに、結局何年もそのまま。

    そんなケースも決して珍しくありません。

    つまり、

    解体はゴールではなく、新しいスタートになることもあるのです。


    残しても負担は続く

    では、そのまま残しておけばいいのでしょうか。

    そうすると、

    草が伸びる。

    建物は傷む。

    固定資産税もかかる。

    近所への気遣いも必要になる。

    結局、時間と費用がかかり続けます。

    解体するにもお金がいる。

    残しておくにもお金がいる。

    どちらを選んでも負担があるのです。

    だからこそ、多くの人が決断できずにいます。


    思い出は簡単に壊せない

    配達の仕事で住宅地を回っていると、

    売り家の看板が立ったままの家や、

    長い間そのままになっている空き家を見かけます。

    解体した方が売れるのではないか。

    そんな家もあります。

    それでも残っているのは、

    お金だけが理由ではないのでしょう。

    親が建てた家。

    子どもの頃に暮らした家。

    家族が集まった家。

    今は誰も住んでいなくても、

    そこには長い時間が積み重なっています。

    だから、

    「古いから壊しましょう」

    とは簡単には言えません。

    思い出に値段は付けられるのか。

    これは、とても難しい問題です。


    家の数だけ答えがある

    百万円なら壊せるのか。

    二百万円なら諦められるのか。

    そういう話でもないような気がします。

    思い出はお金では測れません。

    でも、現実にはお金がかかる。

    その間で、多くの人が迷っているのでしょう。

    だから空き家問題は難しい。

    建物の問題でも、

    法律の問題でも、

    お金の問題だけでもない。

    その全部が絡み合っています。

    私が配達の途中で思うのは、

    「空き家がここにもあるな」

    ということです。

    でも、その一軒一軒には、

    それぞれ違う事情があります。

    解体できない理由も、

    解体しない理由も、

    きっと家の数だけあるのでしょう。

    だから私は、

    「解体すれば解決」

    というほど、この問題は単純ではないと思っています。


    最後に

    私は配達の途中で、今日も空き家を見かけます。

    一軒一軒に、それぞれ違う事情があります。

    解体できない理由も、

    解体しない理由も、

    家の数だけあるのでしょう。

    空き家問題は、建物だけの問題ではありません。

    家族の歴史があり、

    人の気持ちがあり、

    お金があり、

    法律があり、

    そのすべてが重なっています。

    だからこそ、この問題に一つの正解はありません。

    このシリーズを通して私が伝えたかったのは、

    空き家は、誰にでも起こり得る身近な問題だということです。

    「まだ先の話」と思える今だからこそ、

    一度立ち止まって考えてみる。

    それが、将来の大きな負担を減らす第一歩になるのではないかと思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 家の名義は誰ですか

    空き家の話になると、

    最初に確認しなければならないことがあります。

    それは、

    「その家の名義は誰ですか?」

    ということです。

    当たり前の質問のようですが、

    意外と答えられない人がいます。

    親の家だから親名義。

    そう思っていたら、実は祖父名義だった。

    祖父が亡くなり、

    父が住み続けていたので、

    誰も気にしていなかった。

    そんな話は珍しくありません。


    家は家族のものだった

    地方では昔から、

    「家は家族のもの」

    という感覚がありました。

    誰の名義かより、

    誰が住んでいるか。

    誰が守っているか。

    そちらの方が大事だったのです。

    ところが、空き家になると話が変わります。

    売りたい。

    解体したい。

    貸したい。

    そう思った時に、

    「名義が違いますね」

    という話になる。

    初めてそこで、

    家の所有者が誰なのかを調べ始めることになります。


    相続人は何人ですか

    祖父が亡くなった。

    父も亡くなった。

    子どもが何人もいる。

    その子どもにもさらに子どもがいる。

    そうなると、

    「相続人は何人ですか?」

    という話になります。

    本人もよく分からない。

    戸籍を集めて初めて分かる。

    そんなこともあります。

    最近は相続登記が義務化されました。

    これは大事な制度だと思います。

    ですが、制度ができたからといって、

    古い問題がすぐ解決するわけではありません。

    何十年も放置された名義。

    遠方に住む親族。

    疎遠になった兄弟。

    そうした問題は、

    法律だけでは解決できません。


    時間が経つほど難しくなる

    空き家問題というと、

    建物の老朽化や固定資産税が話題になります。

    しかし私は、

    名義の問題の方が厄介ではないかと思っています。

    建物は壊せます。

    草も刈れます。

    ですが、人間関係は簡単には整理できません。

    しかも困ったことに、

    名義の問題は時間が経つほど複雑になります。

    相続人は増える。

    連絡先は分からなくなる。

    話し合いも難しくなる。

    つまり、

    「そのうちやろう」

    が一番危ない。

    これは空き家の片付けと同じです。


    簡単な質問ほど難しい

    私が配達で見かける空き家の中にも、

    実際には誰の家なのか、

    はっきりしないものがあるのかもしれません。

    外から見れば、

    ただの古い家です。

    ですが、その裏には、

    何代にもわたる家族の歴史や事情が隠れている。

    そう思うと、

    空き家問題は単なる不動産の問題ではないのだと感じます。

    家の名義は誰ですか?

    簡単な質問です。

    でも、その答えがすぐに出てこない家は、

    地方にはまだたくさんあるような気がしています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • そのうち考えよう

    空き家の問題は、ある日突然始まるわけではありません。

    多くの場合、

    「そのうち考えよう」

    から始まります。

    そして、それが一番厄介なのかもしれません。


    今すぐ困っていない

    親はまだ元気。

    家もまだ傷んでいない。

    急いで決める必要もない。

    そう思っているうちに時間が過ぎていきます。

    子どもにも生活があります。

    仕事がある。

    家庭がある。

    遠方に住んでいる。

    実家のことは気になっていても、目の前の生活で精一杯です。

    そのため、

    「また今度話そう」

    になります。

    親も子も、

    空き家にしたいわけではありません。

    放置したいわけでもありません。

    ただ、今すぐ困っていない。

    だから後回しになるのです。


    親も決められない

    子どもが後回しにするように、

    親もまた決断できないことがあります。

    まだ住める。

    思い出もある。

    いつか子どもが帰ってくるかもしれない。

    そう思うのは自然なことです。

    何十年も暮らしてきた家です。

    子どもが生まれ、

    学校へ通い、

    独立していった。

    家のあちこちに思い出があります。

    だから、

    「売りましょう」

    「解体しましょう」

    と簡単には言えません。

    家を手放すということは、

    人生の一部を手放すことでもあるからです。


    時間は待ってくれない

    ところが時間は待ってくれません。

    親は年を取ります。

    病気になることもあります。

    施設へ入ることもあります。

    そして、ある日突然、

    「今すぐ決めなければならない」

    という状況になることがあります。

    そうなると選択肢は少なくなります。

    家の中の片付け。

    売却の準備。

    相続の手続き。

    名義の確認。

    やることはたくさんあります。

    ですが、時間はありません。

    元気なうちならできたことが、

    元気でなくなってからは難しくなります。


    知っている人がいなくなる

    親に聞けば分かったことが、

    聞けなくなることもあります。

    書類の場所。

    土地の境界。

    家の修繕履歴。

    どこに何があるのか。

    長年住んでいた人しか知らないことは意外と多いものです。

    空き家問題というと、

    相続が発生してから始まるように思われがちです。

    しかし実際には、その前から始まっています。

    むしろ相続が発生した時には、

    すでに問題の半分は始まっていると言えるかもしれません。


    考えるのは早過ぎても困らない

    私は配達の仕事で地方を回っています。

    売り家の看板や空き家を見るたびに、

    「あの家も、最初は『そのうち考えよう』だったのかもしれない」

    と思うことがあります。

    誰も悪くない。

    放置したかったわけでもない。

    ただ時間だけが過ぎていく。

    それが空き家問題を難しくしているように感じます。

    空き家問題に完璧な解決策はありません。

    ですが、一つだけ言えることがあります。

    考えるのは早過ぎても困りません。

    遅過ぎることはあります。

    だからこそ、

    「まだ大丈夫」

    と思っている時こそ、

    一度家族で話してみる価値があるのではないでしょうか。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 固定資産税より重い負担

    空き家の話になると、

    「固定資産税がもったいない」

    という話をよく耳にします。

    確かに税金は負担です。

    誰も住んでいない家に毎年税金を払い続けるのですから、気分の良いものではありません。

    ですが、私は空き家の本当の負担は、固定資産税だけではないように思っています。


    本当に大変なのは管理

    例えば、親が亡くなって実家を相続したとします。

    家は地方にある。

    自分は都会で暮らしている。

    そんなケースは珍しくありません。

    すると問題になるのは、税金より先に「管理」です。

    庭木は伸びます。

    草も生えます。

    台風が来れば心配になります。

    雨漏りしていないだろうか。

    近所に迷惑をかけていないだろうか。

    空き家というのは、人が住まなくなっても勝手に止まってくれるわけではありません。

    むしろ何もしないと少しずつ傷んでいきます。


    見えない負担

    固定資産税は金額が見えます。

    納税通知書が届きます。

    だから負担も分かりやすい。

    ところが管理の負担は数字になりません。

    現地へ行く時間。

    草刈りをする労力。

    修繕の手配。

    近所への気遣い。

    そうしたものが少しずつ積み重なります。

    さらに厄介なのは、精神的な負担です。

    「いつか何とかしなければならない」

    という思いが、ずっと頭の片隅に残ります。

    売るべきなのか。

    残すべきなのか。

    解体するべきなのか。

    答えが出ないまま年月だけが過ぎていく。

    これは意外に重いものです。


    誰かが気にしている家

    私が配達中に見かける空き家の中にも、

    「本当は誰かが気にしているのだろうな」

    と思う家があります。

    完全に放置されているわけではない。

    時々草が刈られている。

    郵便受けも整理されている。

    誰かが気にかけている気配があるのです。

    しかし、それは逆に言えば、

    誰かが負担を背負い続けている

    ということでもあります。

    税金だけなら、お金を払えば終わります。

    ところが空き家はそうはいきません。

    所有している限り、責任もついて回ります。


    家があることが負担になる時代

    地方では、

    「家があること」

    が安心だった時代がありました。

    土地があり、家がある。

    子どもに残せる。

    老後もそこで暮らせる。

    それが当たり前の人生設計だったのだと思います。

    ですが今は、

    「家があること」

    そのものが負担になる場合があります。

    これは昔の人には、なかなか想像できなかったことかもしれません。

    空き家問題というと、固定資産税ばかりが話題になります。

    ですが実際には、それ以上に時間と費用がかかります。

    現地へ行く時間。

    片付ける時間。

    草を刈る時間。

    そして、それらに伴う費用。

    空き家を持つということは、

    家を所有することではなく、

    管理を続けることなのかもしれません。

    税金だけなら毎年決まった額です。

    しかし時間と費用には終わりがありません。

    だから空き家問題は難しい。

    私はそう思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 昭和の家はなぜ売れないのか

    配達の仕事で住宅地を回っていると、「売り家」の看板を見かけることがあります。

    以前より増えているような気がします。

    もちろん傷んだ家ばかりではありません。

    立派な家もあります。

    小さな家もあります。

    手入れがされている家もあります。

    ですが共通していることがあります。

    昭和の家なのです。

    その家を見ながら、私はいつも思います。

    「この家、誰が買うのだろう」

    と。


    昭和の家は立派だった

    昔の家が悪いわけではありません。

    むしろ当時としては立派な家だったと思います。

    広い土地。

    大きな庭。

    応接間。

    床の間。

    来客をもてなすための和室。

    家族が増えることを前提とした間取り。

    昭和の時代には、それが理想の住まいでした。

    家を建てることは人生の目標であり、家は財産であり、家族の誇りでもあったのでしょう。

    だから今、地方で売りに出ている昭和の家を見ると、

    「当時はきっと自慢の家だったのだろう」

    と思うことがあります。


    家に求められるものが変わった

    ですが、令和の時代に求められる家はずいぶん変わりました。

    子どもは少ない。

    来客も少ない。

    和室を使う機会も減った。

    庭の手入れを負担に感じる人も多い。

    断熱性能や気密性も重視される。

    駐車場は二台以上欲しい。

    つまり、

    家が古くなったのではなく、

    家に求められるものが変わったのです。

    私は建築の専門家ではありません。

    ですが、今の住宅と見比べると、まるで別の時代の商品に見えます。

    少し古い家ではありません。

    令和の住宅とは、外観そのものが違う。

    同じ「住宅」という名前で呼ばれていても、別の時代のものに見えるのです。


    古民家とは違う

    車には旧車ファンがいます。

    古いレコードを集める人もいます。

    昭和の家電を好む人もいます。

    では、昭和の住宅を積極的に欲しいと思う人はいるのでしょうか。

    もちろんいるのかもしれません。

    ですが、少なくとも多数派ではないように思います。

    古民家なら話は別です。

    古民家には古民家の魅力があります。

    趣味として再生する人もいます。

    ところが、地方で売りに出ている家の多くは古民家ではありません。

    昭和の時代に建てられた、ごく普通の住宅です。

    そこに難しさがあります。


    家が余っているのではない

    空き家問題というと、

    人口減少。

    高齢化。

    相続。

    税金。

    そういった話になりがちです。

    もちろん、それらも重要です。

    ですが私は、それだけでは説明できないように思っています。

    売りたい人はいる。

    しかし、欲しい人が見えない。

    価格の問題でもない。

    立地の問題だけでもない。

    もっと根本的なところで、

    家そのものが求められなくなっているのではないか。

    そんな気がすることがあります。

    地方の空き家問題は、

    家が余っているという話ではないのかもしれません。

    昭和の時代に価値があった家と、

    令和の時代に求められる家。

    その間に生まれた大きな隔たり。

    私は配達をしながら、

    その隔たりを「売り家」の看板の数だけ見ているような気がするのです。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • お宝は眠っているのか

    空き家の片付けが進まない理由の一つに、

    「もしかしたら価値のある物があるかもしれない」

    という気持ちがあるように思います。

    これは決して欲深い話ではありません。

    人間なら誰でも考えることです。

    最近はテレビや動画でも、

    「空き家からお宝発見」

    という話をよく見かけます。

    古い掛け軸。

    古銭。

    切手。

    時計。

    着物。

    あるいは昔のおもちゃや雑誌。

    思わぬ高値が付いたという話も珍しくありません。

    そういう話を聞くと、

    「うちにも何かあるかもしれない」

    と思うのは自然なことです。


    古い物には、本当に価値があることもある

    私自身、古本を扱っています。

    そのため、

    「古い物=価値がない」

    とは思いません。

    むしろ世の中には、

    古いからこそ価値がある物も存在します。

    何十年も前の本が売れることもあります。

    昔は見向きもされなかった本が、突然注目されることもあります。

    ですから、

    「一応見ておこう」

    という気持ちはよく分かります。

    ただ現実は、それほど甘くありません。

    価値のある物は確かにあります。

    しかし大半の物は売れません。

    売れても数百円ということも多い。

    それでも人は、

    「どこかにお宝があるかもしれない」

    と思ってしまいます。


    探し始めると終わらない

    そして、その確認作業には膨大な時間がかかります。

    地方の古い家になると、母屋だけではありません。

    倉庫。

    納屋。

    押し入れ。

    天袋。

    探そうと思えば、いくらでも出てきます。

    一つ一つ見ていけば何日もかかる。

    仕事をしながら。

    遠方から通いながら。

    そう考えると、なかなか手が付けられません。

    百軒見て九十九軒は何もない。

    それでも、一軒だけ「当たり」があるかもしれない。

    その可能性がある限り、人は簡単には諦められません。

    だから厄介なのです。


    本当に探しているのは、お宝なのだろうか

    実は、「お宝探し」は物の価値だけの話ではないのかもしれません。

    古いアルバムが出てくる。

    子どもの頃の通知表が出てくる。

    亡くなった親の手紙が出てくる。

    そういう物を見つけると、片付けの手が止まります。

    処分するつもりで来たのに、

    思い出を眺めて一日が終わる。

    そんな話もよく聞きます。

    もしかすると人は、

    お宝を探しているのではなく、

    失った時間を探しているのかもしれません。

    家族が元気だった頃。

    子どもが家の中を走り回っていた頃。

    親がまだ生きていた頃。

    空き家には、そういう時間が閉じ込められています。


    どこかで見切りをつけるしかない

    しかし、どれだけ探しても、

    すべてを確認することはできません。

    人生をかけて集めた物の中に、

    本当に価値のある物が残っているかもしれない。

    そう思う気持ちは自然なことです。

    実際に、思わぬ物が高値で売れることもあります。

    だからこそ、

    どこまで調べるのか。

    どこで見切りをつけるのか。

    その判断をするしかないのでしょう。

    空き家は年月とともに傷みます。

    庭木は伸びる。

    修繕費は増える。

    そして売る機会も少しずつ失われていきます。

    空き家に残された物は、

    資産であると同時に負担でもあるのです。

    空き家問題には法律や税金の問題があります。

    しかし実際には、

    それ以上に「諦める決断」が求められる場面があります。

    それは思っている以上に難しいことなのだと、私は思います。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 子どもは戻らない、家は残る

    地方の空き家が増えている理由の一つは、やはり「家を継ぐ人がいない」ということだと思います。

    昔は、長男が家を継ぐという感覚がまだありました。

    地元に残る。

    親と同じ地域で暮らす。

    家や土地を引き継ぐ。

    もちろん全員ではありませんが、そういう流れが普通だった時代があります。

    ですが今は違います。

    子どもは進学や就職で都会へ出る。

    そのまま結婚し、生活の基盤も都会側にできる。

    地方へ戻る理由が少なくなる。

    結果として、親だけが地元に残る形になります。


    大きな家に、一人か二人で暮らす

    私は配達の仕事で地方の住宅地を回っています。

    そこで、

    「この家、子どもは帰ってこないのだろうな」

    と感じる家があります。

    もちろん事情は外からではわかりません。

    ですが、

    高齢の親だけが住んでいる。

    車が1台だけ停まっている。

    庭の手入れが少しずつ減っている。

    昔は家族向けだった大きな家。

    そういう家を見ると、今の地方の現実を感じます。

    昭和の時代には、子どもが独立しても、盆や正月には家族が集まったのでしょう。

    孫の声がして、庭には車が何台も並ぶ。

    そんな風景が普通だったのかもしれません。

    ですが今は、子どもが遠方に住み、年に一度帰省するかどうかという家も珍しくありません。

    家だけが昔のまま残り、暮らし方だけが変わってしまった。

    そんな印象を受けます。


    親は残したい。子どもは引き継げない。

    難しいのは、親世代も、

    「できれば子どもに残したい」

    と思っていることです。

    自分たちが苦労して建てた家です。

    土地も守ってきた。

    住宅ローンを返し終えた時には、大きな達成感もあったと思います。

    簡単に処分する気持ちにはなれません。

    ですが、子どもの側には子どもの生活があります。

    都会で住宅ローンを抱えている人もいる。

    仕事もある。

    子育てもある。

    地方へ戻りたい気持ちはあっても、現実には難しい。

    そうなると、

    「いつか帰るかもしれない」

    と思いながら、結局そのまま時間だけが過ぎていく。

    地方では、そういうケースがかなり多いように思います。


    家が資産とは限らない時代

    しかも最近は、家を相続しても「資産」にならない場合があります。

    売れない。

    貸せない。

    解体費は高い。

    固定資産税だけがかかる。

    相続した側から見ると、

    「どうしたらいいかわからない家」

    になってしまうこともあるのです。

    昔は、家を持つことが安心でした。

    ですが今は、

    家をどう維持するか。

    誰に引き継ぐか。

    あるいは、いつ手放すか。

    そういうことまで考えなければならない時代になりました。


    老後は「家をどう終わらせるか」でもある

    配達中に見かける「売り家」の看板も、そういう流れの中にあるのかもしれません。

    親が亡くなった。

    施設へ入った。

    子どもは戻らない。

    だから、とりあえず売りに出す。

    ですが地方では、買う人自体が少ない。

    看板だけが長く立ったままになっている家もあります。

    老後というのは、お金や健康の問題だけではないのだと思います。

    「家をどう終わらせるか」

    という問題でもある。

    そして本当は、

    家を終わらせることではなく、

    家族が納得できる形で、家の役目を終えてもらうことなのかもしれません。

    地方では、その現実が少しずつ表面に出てきているように感じます。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

    noteはこちら


    地方の空き家と老後

  • 売り家が増えた

    売り家が増えた

    私は昼間、配達の仕事で地方の住宅地を回っています。

    そこで最近、以前より明らかに増えたと感じるものがあります。

    「売り家」の看板です。

    もちろん昔からありました。

    しかし最近は、住宅地を走っていると、数日に一度は目に入ります。

    しかも、その多くはいわゆる新築同然の家ではありません。

    昭和の雰囲気を残した外観。

    少し広すぎる敷地。

    古いブロック塀。

    手入れされなくなった庭木。

    どこか、時代が止まったような家です。

    もちろん、きれいに住まわれていたのだろうと思う家もあります。

    玄関先の植木が整えられ、家の中も大切に使われてきたのだろうと感じる家です。

    ですが正直に言えば、

    「これは売るのが大変だろうな」

    と思う家も少なくありません。

    築年数の問題だけではありません。

    今の住宅と比べると、間取りも、外観も、暮らし方そのものも違うのです。

    昭和の家は昭和の家として完成されています。

    けれど、令和の家とは似て非なるものです。

    車で言えば旧車のような魅力があるかと言えば、そうでもありません。

    家は大きな買い物です。

    よほどの思い入れがなければ、若い世代は新しい家を選ぶでしょう。


    ネットに出ていない家も多い

    不思議なのは、そういう家の多くを、ネットではあまり見かけないことです。

    最近は不動産もネットで探す時代です。

    スマホで条件を入れれば、すぐに物件が表示されます。

    けれど、配達中に見かける売り家の中には、

    「これ、本当にネットに出ているのだろうか?」

    と思うような家があります。

    もしかすると、

    近所の人に声をかけているだけなのかもしれません。

    地元の不動産屋の店頭にだけ出しているのかもしれません。

    あるいは、積極的に売りたいわけではなく、

    「いい人がいれば」

    くらいの気持ちなのかもしれません。

    車を停めて荷物を降ろしながら、

    「誰が買うのだろう」

    「どうやって見つけるのだろう」

    そんなことを考えることがあります。


    家は「安心」の象徴だった

    地方では、家を持つことが長い間「安心」でした。

    土地があり、家がある。

    子どもに残せる。

    老後もそこで暮らせる。

    それが普通の人生設計だったのだと思います。

    ですが今は、その前提が少しずつ崩れてきています。

    子どもは都会へ出る。

    親だけが残る。

    やがて高齢になり、家の管理が難しくなる。

    そして最後に、「売ろう」と思っても簡単には売れない。

    家を持っていることが、そのまま安心とは言えない時代になってきました。


    空き家問題は、もっと静かな問題なのかもしれない

    地方の空き家問題というと、

    法律や税金、

    相続や登記、

    解体費用の話になりがちです。

    もちろん、それらは大切な問題です。

    しかし実際には、もっと静かな変化なのだと思います。

    住む人がいなくなった家が、少しずつ地域に増えていく。

    売り家の看板が、風景の一部になっていく。

    昔は子どもの声がしていた家が、いつの間にか誰も住まなくなる。

    配達をしていると、そんな変化を日々感じます。

    老後と家の問題は、これからますます切り離せなくなるのでしょう。

    そして私は、この静かな変化を、これからもしばらく見続けることになるのだと思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後