タグ: 家じまい

  • 解体すれば終わりなのか

    空き家の話をしていると、

    いつか必ず出てくるのが、

    「解体するかどうか」

    という問題です。

    住む人はいない。

    売れそうにもない。

    管理にも手間がかかる。

    それなら解体した方がいい。

    理屈で言えば、その通りです。

    ですが実際には、そう簡単にはいきません。


    解体にもお金がかかる

    解体にはお金がかかります。

    地方の木造住宅でも百万円以上。

    家が大きければ二百万円、三百万円かかることもあります。

    しかも、更地にしたからといって売れるとは限りません。

    地方では、家だけでなく土地そのものの需要も弱くなっています。

    解体費をかけて更地にしたのに、結局何年もそのまま。

    そんなケースも決して珍しくありません。

    つまり、

    解体はゴールではなく、新しいスタートになることもあるのです。


    残しても負担は続く

    では、そのまま残しておけばいいのでしょうか。

    そうすると、

    草が伸びる。

    建物は傷む。

    固定資産税もかかる。

    近所への気遣いも必要になる。

    結局、時間と費用がかかり続けます。

    解体するにもお金がいる。

    残しておくにもお金がいる。

    どちらを選んでも負担があるのです。

    だからこそ、多くの人が決断できずにいます。


    思い出は簡単に壊せない

    配達の仕事で住宅地を回っていると、

    売り家の看板が立ったままの家や、

    長い間そのままになっている空き家を見かけます。

    解体した方が売れるのではないか。

    そんな家もあります。

    それでも残っているのは、

    お金だけが理由ではないのでしょう。

    親が建てた家。

    子どもの頃に暮らした家。

    家族が集まった家。

    今は誰も住んでいなくても、

    そこには長い時間が積み重なっています。

    だから、

    「古いから壊しましょう」

    とは簡単には言えません。

    思い出に値段は付けられるのか。

    これは、とても難しい問題です。


    家の数だけ答えがある

    百万円なら壊せるのか。

    二百万円なら諦められるのか。

    そういう話でもないような気がします。

    思い出はお金では測れません。

    でも、現実にはお金がかかる。

    その間で、多くの人が迷っているのでしょう。

    だから空き家問題は難しい。

    建物の問題でも、

    法律の問題でも、

    お金の問題だけでもない。

    その全部が絡み合っています。

    私が配達の途中で思うのは、

    「空き家がここにもあるな」

    ということです。

    でも、その一軒一軒には、

    それぞれ違う事情があります。

    解体できない理由も、

    解体しない理由も、

    きっと家の数だけあるのでしょう。

    だから私は、

    「解体すれば解決」

    というほど、この問題は単純ではないと思っています。


    最後に

    私は配達の途中で、今日も空き家を見かけます。

    一軒一軒に、それぞれ違う事情があります。

    解体できない理由も、

    解体しない理由も、

    家の数だけあるのでしょう。

    空き家問題は、建物だけの問題ではありません。

    家族の歴史があり、

    人の気持ちがあり、

    お金があり、

    法律があり、

    そのすべてが重なっています。

    だからこそ、この問題に一つの正解はありません。

    このシリーズを通して私が伝えたかったのは、

    空き家は、誰にでも起こり得る身近な問題だということです。

    「まだ先の話」と思える今だからこそ、

    一度立ち止まって考えてみる。

    それが、将来の大きな負担を減らす第一歩になるのではないかと思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • そのうち考えよう

    空き家の問題は、ある日突然始まるわけではありません。

    多くの場合、

    「そのうち考えよう」

    から始まります。

    そして、それが一番厄介なのかもしれません。


    今すぐ困っていない

    親はまだ元気。

    家もまだ傷んでいない。

    急いで決める必要もない。

    そう思っているうちに時間が過ぎていきます。

    子どもにも生活があります。

    仕事がある。

    家庭がある。

    遠方に住んでいる。

    実家のことは気になっていても、目の前の生活で精一杯です。

    そのため、

    「また今度話そう」

    になります。

    親も子も、

    空き家にしたいわけではありません。

    放置したいわけでもありません。

    ただ、今すぐ困っていない。

    だから後回しになるのです。


    親も決められない

    子どもが後回しにするように、

    親もまた決断できないことがあります。

    まだ住める。

    思い出もある。

    いつか子どもが帰ってくるかもしれない。

    そう思うのは自然なことです。

    何十年も暮らしてきた家です。

    子どもが生まれ、

    学校へ通い、

    独立していった。

    家のあちこちに思い出があります。

    だから、

    「売りましょう」

    「解体しましょう」

    と簡単には言えません。

    家を手放すということは、

    人生の一部を手放すことでもあるからです。


    時間は待ってくれない

    ところが時間は待ってくれません。

    親は年を取ります。

    病気になることもあります。

    施設へ入ることもあります。

    そして、ある日突然、

    「今すぐ決めなければならない」

    という状況になることがあります。

    そうなると選択肢は少なくなります。

    家の中の片付け。

    売却の準備。

    相続の手続き。

    名義の確認。

    やることはたくさんあります。

    ですが、時間はありません。

    元気なうちならできたことが、

    元気でなくなってからは難しくなります。


    知っている人がいなくなる

    親に聞けば分かったことが、

    聞けなくなることもあります。

    書類の場所。

    土地の境界。

    家の修繕履歴。

    どこに何があるのか。

    長年住んでいた人しか知らないことは意外と多いものです。

    空き家問題というと、

    相続が発生してから始まるように思われがちです。

    しかし実際には、その前から始まっています。

    むしろ相続が発生した時には、

    すでに問題の半分は始まっていると言えるかもしれません。


    考えるのは早過ぎても困らない

    私は配達の仕事で地方を回っています。

    売り家の看板や空き家を見るたびに、

    「あの家も、最初は『そのうち考えよう』だったのかもしれない」

    と思うことがあります。

    誰も悪くない。

    放置したかったわけでもない。

    ただ時間だけが過ぎていく。

    それが空き家問題を難しくしているように感じます。

    空き家問題に完璧な解決策はありません。

    ですが、一つだけ言えることがあります。

    考えるのは早過ぎても困りません。

    遅過ぎることはあります。

    だからこそ、

    「まだ大丈夫」

    と思っている時こそ、

    一度家族で話してみる価値があるのではないでしょうか。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 固定資産税より重い負担

    空き家の話になると、

    「固定資産税がもったいない」

    という話をよく耳にします。

    確かに税金は負担です。

    誰も住んでいない家に毎年税金を払い続けるのですから、気分の良いものではありません。

    ですが、私は空き家の本当の負担は、固定資産税だけではないように思っています。


    本当に大変なのは管理

    例えば、親が亡くなって実家を相続したとします。

    家は地方にある。

    自分は都会で暮らしている。

    そんなケースは珍しくありません。

    すると問題になるのは、税金より先に「管理」です。

    庭木は伸びます。

    草も生えます。

    台風が来れば心配になります。

    雨漏りしていないだろうか。

    近所に迷惑をかけていないだろうか。

    空き家というのは、人が住まなくなっても勝手に止まってくれるわけではありません。

    むしろ何もしないと少しずつ傷んでいきます。


    見えない負担

    固定資産税は金額が見えます。

    納税通知書が届きます。

    だから負担も分かりやすい。

    ところが管理の負担は数字になりません。

    現地へ行く時間。

    草刈りをする労力。

    修繕の手配。

    近所への気遣い。

    そうしたものが少しずつ積み重なります。

    さらに厄介なのは、精神的な負担です。

    「いつか何とかしなければならない」

    という思いが、ずっと頭の片隅に残ります。

    売るべきなのか。

    残すべきなのか。

    解体するべきなのか。

    答えが出ないまま年月だけが過ぎていく。

    これは意外に重いものです。


    誰かが気にしている家

    私が配達中に見かける空き家の中にも、

    「本当は誰かが気にしているのだろうな」

    と思う家があります。

    完全に放置されているわけではない。

    時々草が刈られている。

    郵便受けも整理されている。

    誰かが気にかけている気配があるのです。

    しかし、それは逆に言えば、

    誰かが負担を背負い続けている

    ということでもあります。

    税金だけなら、お金を払えば終わります。

    ところが空き家はそうはいきません。

    所有している限り、責任もついて回ります。


    家があることが負担になる時代

    地方では、

    「家があること」

    が安心だった時代がありました。

    土地があり、家がある。

    子どもに残せる。

    老後もそこで暮らせる。

    それが当たり前の人生設計だったのだと思います。

    ですが今は、

    「家があること」

    そのものが負担になる場合があります。

    これは昔の人には、なかなか想像できなかったことかもしれません。

    空き家問題というと、固定資産税ばかりが話題になります。

    ですが実際には、それ以上に時間と費用がかかります。

    現地へ行く時間。

    片付ける時間。

    草を刈る時間。

    そして、それらに伴う費用。

    空き家を持つということは、

    家を所有することではなく、

    管理を続けることなのかもしれません。

    税金だけなら毎年決まった額です。

    しかし時間と費用には終わりがありません。

    だから空き家問題は難しい。

    私はそう思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • お宝は眠っているのか

    空き家の片付けが進まない理由の一つに、

    「もしかしたら価値のある物があるかもしれない」

    という気持ちがあるように思います。

    これは決して欲深い話ではありません。

    人間なら誰でも考えることです。

    最近はテレビや動画でも、

    「空き家からお宝発見」

    という話をよく見かけます。

    古い掛け軸。

    古銭。

    切手。

    時計。

    着物。

    あるいは昔のおもちゃや雑誌。

    思わぬ高値が付いたという話も珍しくありません。

    そういう話を聞くと、

    「うちにも何かあるかもしれない」

    と思うのは自然なことです。


    古い物には、本当に価値があることもある

    私自身、古本を扱っています。

    そのため、

    「古い物=価値がない」

    とは思いません。

    むしろ世の中には、

    古いからこそ価値がある物も存在します。

    何十年も前の本が売れることもあります。

    昔は見向きもされなかった本が、突然注目されることもあります。

    ですから、

    「一応見ておこう」

    という気持ちはよく分かります。

    ただ現実は、それほど甘くありません。

    価値のある物は確かにあります。

    しかし大半の物は売れません。

    売れても数百円ということも多い。

    それでも人は、

    「どこかにお宝があるかもしれない」

    と思ってしまいます。


    探し始めると終わらない

    そして、その確認作業には膨大な時間がかかります。

    地方の古い家になると、母屋だけではありません。

    倉庫。

    納屋。

    押し入れ。

    天袋。

    探そうと思えば、いくらでも出てきます。

    一つ一つ見ていけば何日もかかる。

    仕事をしながら。

    遠方から通いながら。

    そう考えると、なかなか手が付けられません。

    百軒見て九十九軒は何もない。

    それでも、一軒だけ「当たり」があるかもしれない。

    その可能性がある限り、人は簡単には諦められません。

    だから厄介なのです。


    本当に探しているのは、お宝なのだろうか

    実は、「お宝探し」は物の価値だけの話ではないのかもしれません。

    古いアルバムが出てくる。

    子どもの頃の通知表が出てくる。

    亡くなった親の手紙が出てくる。

    そういう物を見つけると、片付けの手が止まります。

    処分するつもりで来たのに、

    思い出を眺めて一日が終わる。

    そんな話もよく聞きます。

    もしかすると人は、

    お宝を探しているのではなく、

    失った時間を探しているのかもしれません。

    家族が元気だった頃。

    子どもが家の中を走り回っていた頃。

    親がまだ生きていた頃。

    空き家には、そういう時間が閉じ込められています。


    どこかで見切りをつけるしかない

    しかし、どれだけ探しても、

    すべてを確認することはできません。

    人生をかけて集めた物の中に、

    本当に価値のある物が残っているかもしれない。

    そう思う気持ちは自然なことです。

    実際に、思わぬ物が高値で売れることもあります。

    だからこそ、

    どこまで調べるのか。

    どこで見切りをつけるのか。

    その判断をするしかないのでしょう。

    空き家は年月とともに傷みます。

    庭木は伸びる。

    修繕費は増える。

    そして売る機会も少しずつ失われていきます。

    空き家に残された物は、

    資産であると同時に負担でもあるのです。

    空き家問題には法律や税金の問題があります。

    しかし実際には、

    それ以上に「諦める決断」が求められる場面があります。

    それは思っている以上に難しいことなのだと、私は思います。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 片付かない家

    空き家の話になると、

    「売ればいい」

    「処分すればいい」

    という意見をよく見かけます。

    ですが、実際にはそんなに簡単ではありません。

    地方の空き家が長く放置される理由の一つは、「片付け」が想像以上に大変だからです。

    昔の家には、とにかく物があります。

    大きなタンス。

    布団。

    食器。

    アルバム。

    贈答品。

    使わなくなった家具。

    農機具。

    古い家電。

    さらに地方の家は、母屋だけでは終わりません。

    倉庫。

    離れ。

    物置。

    納屋。

    開けてみると、

    「これは何十年前の物だろう」

    と思うような物が大量に残っていることもあります。


    物ではなく、思い出を片付ける

    しかも難しいのは、単なるゴミではないことです。

    親が使っていた物。

    家族の思い出。

    亡くなった人の持ち物。

    そういう感情が入ってくる。

    だから、なかなか処分できません。

    たとえ何年も使っていないと分かっていても、

    捨てるとなると手が止まる。

    アルバムを開けば、つい見入ってしまう。

    古い手紙が出てくれば、作業はそこで止まります。

    片付けているつもりが、思い出をたどる時間になってしまう。

    空き家の整理とは、そういう作業なのだと思います。


    仏壇をどうするのか

    特に地方では、仏壇の問題も大きいと思います。

    古い家には立派な仏壇があることが多い。

    ですが、子ども世代は都会に住んでいる。

    マンション暮らしでは置けない。

    そもそも継ぐ人がいない。

    けれど、簡単に処分するのも気が重い。

    結局、

    「とりあえずそのまま」

    になる。

    仏壇だけではありません。

    神棚や位牌、昔から受け継がれてきた品々。

    それらは単なる物ではなく、家族の歴史そのものです。

    だから、理屈だけでは片付かない。


    空き家問題は、感情の問題でもある

    空き家問題というと、

    法律や税金の話ばかりになりがちです。

    もちろん、それも大切です。

    ですが実際には、もっと感情的な問題なのだと思います。

    家そのものというより、

    「人生の片付け」

    に近い。

    だから時間がかかる。

    配達をしていると、長い間そのままになっている家を見かけます。

    庭木だけが毎年伸びていく。

    ポストは使われない。

    けれど、完全に崩れてはいない。

    誰かが時々帰ってきているのかもしれません。

    「いつか片付けなければ」

    と思いながら、手をつけられない。

    そんな空気を感じる家があります。


    捨てれば終わり、とはならない

    しかも、昔の家には何が残っているかわかりません。

    古い本。

    古い時計。

    趣味の道具。

    今では手に入らない家具や食器。

    思いがけない価値を持つ物が混じっていることもあります。

    だから、

    「全部まとめて処分してしまっていいのだろうか」

    という気持ちにもなる。

    損をしたくない。

    でも、一つひとつ調べる時間もない。

    その迷いが、また片付けを先送りにする。

    地方の空き家が片付かない理由には、

    そういう損得勘定や迷いも、確かにあるのだと思います。

    家を片付けるというのは、

    単に物を捨てることではありません。

    そこにあった人生を整理することなのだと、

    私は思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後