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  • 昭和の家はなぜ売れないのか

    配達の仕事で住宅地を回っていると、「売り家」の看板を見かけることがあります。

    以前より増えているような気がします。

    もちろん傷んだ家ばかりではありません。

    立派な家もあります。

    小さな家もあります。

    手入れがされている家もあります。

    ですが共通していることがあります。

    昭和の家なのです。

    その家を見ながら、私はいつも思います。

    「この家、誰が買うのだろう」

    と。


    昭和の家は立派だった

    昔の家が悪いわけではありません。

    むしろ当時としては立派な家だったと思います。

    広い土地。

    大きな庭。

    応接間。

    床の間。

    来客をもてなすための和室。

    家族が増えることを前提とした間取り。

    昭和の時代には、それが理想の住まいでした。

    家を建てることは人生の目標であり、家は財産であり、家族の誇りでもあったのでしょう。

    だから今、地方で売りに出ている昭和の家を見ると、

    「当時はきっと自慢の家だったのだろう」

    と思うことがあります。


    家に求められるものが変わった

    ですが、令和の時代に求められる家はずいぶん変わりました。

    子どもは少ない。

    来客も少ない。

    和室を使う機会も減った。

    庭の手入れを負担に感じる人も多い。

    断熱性能や気密性も重視される。

    駐車場は二台以上欲しい。

    つまり、

    家が古くなったのではなく、

    家に求められるものが変わったのです。

    私は建築の専門家ではありません。

    ですが、今の住宅と見比べると、まるで別の時代の商品に見えます。

    少し古い家ではありません。

    令和の住宅とは、外観そのものが違う。

    同じ「住宅」という名前で呼ばれていても、別の時代のものに見えるのです。


    古民家とは違う

    車には旧車ファンがいます。

    古いレコードを集める人もいます。

    昭和の家電を好む人もいます。

    では、昭和の住宅を積極的に欲しいと思う人はいるのでしょうか。

    もちろんいるのかもしれません。

    ですが、少なくとも多数派ではないように思います。

    古民家なら話は別です。

    古民家には古民家の魅力があります。

    趣味として再生する人もいます。

    ところが、地方で売りに出ている家の多くは古民家ではありません。

    昭和の時代に建てられた、ごく普通の住宅です。

    そこに難しさがあります。


    家が余っているのではない

    空き家問題というと、

    人口減少。

    高齢化。

    相続。

    税金。

    そういった話になりがちです。

    もちろん、それらも重要です。

    ですが私は、それだけでは説明できないように思っています。

    売りたい人はいる。

    しかし、欲しい人が見えない。

    価格の問題でもない。

    立地の問題だけでもない。

    もっと根本的なところで、

    家そのものが求められなくなっているのではないか。

    そんな気がすることがあります。

    地方の空き家問題は、

    家が余っているという話ではないのかもしれません。

    昭和の時代に価値があった家と、

    令和の時代に求められる家。

    その間に生まれた大きな隔たり。

    私は配達をしながら、

    その隔たりを「売り家」の看板の数だけ見ているような気がするのです。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 片付かない家

    空き家の話になると、

    「売ればいい」

    「処分すればいい」

    という意見をよく見かけます。

    ですが、実際にはそんなに簡単ではありません。

    地方の空き家が長く放置される理由の一つは、「片付け」が想像以上に大変だからです。

    昔の家には、とにかく物があります。

    大きなタンス。

    布団。

    食器。

    アルバム。

    贈答品。

    使わなくなった家具。

    農機具。

    古い家電。

    さらに地方の家は、母屋だけでは終わりません。

    倉庫。

    離れ。

    物置。

    納屋。

    開けてみると、

    「これは何十年前の物だろう」

    と思うような物が大量に残っていることもあります。


    物ではなく、思い出を片付ける

    しかも難しいのは、単なるゴミではないことです。

    親が使っていた物。

    家族の思い出。

    亡くなった人の持ち物。

    そういう感情が入ってくる。

    だから、なかなか処分できません。

    たとえ何年も使っていないと分かっていても、

    捨てるとなると手が止まる。

    アルバムを開けば、つい見入ってしまう。

    古い手紙が出てくれば、作業はそこで止まります。

    片付けているつもりが、思い出をたどる時間になってしまう。

    空き家の整理とは、そういう作業なのだと思います。


    仏壇をどうするのか

    特に地方では、仏壇の問題も大きいと思います。

    古い家には立派な仏壇があることが多い。

    ですが、子ども世代は都会に住んでいる。

    マンション暮らしでは置けない。

    そもそも継ぐ人がいない。

    けれど、簡単に処分するのも気が重い。

    結局、

    「とりあえずそのまま」

    になる。

    仏壇だけではありません。

    神棚や位牌、昔から受け継がれてきた品々。

    それらは単なる物ではなく、家族の歴史そのものです。

    だから、理屈だけでは片付かない。


    空き家問題は、感情の問題でもある

    空き家問題というと、

    法律や税金の話ばかりになりがちです。

    もちろん、それも大切です。

    ですが実際には、もっと感情的な問題なのだと思います。

    家そのものというより、

    「人生の片付け」

    に近い。

    だから時間がかかる。

    配達をしていると、長い間そのままになっている家を見かけます。

    庭木だけが毎年伸びていく。

    ポストは使われない。

    けれど、完全に崩れてはいない。

    誰かが時々帰ってきているのかもしれません。

    「いつか片付けなければ」

    と思いながら、手をつけられない。

    そんな空気を感じる家があります。


    捨てれば終わり、とはならない

    しかも、昔の家には何が残っているかわかりません。

    古い本。

    古い時計。

    趣味の道具。

    今では手に入らない家具や食器。

    思いがけない価値を持つ物が混じっていることもあります。

    だから、

    「全部まとめて処分してしまっていいのだろうか」

    という気持ちにもなる。

    損をしたくない。

    でも、一つひとつ調べる時間もない。

    その迷いが、また片付けを先送りにする。

    地方の空き家が片付かない理由には、

    そういう損得勘定や迷いも、確かにあるのだと思います。

    家を片付けるというのは、

    単に物を捨てることではありません。

    そこにあった人生を整理することなのだと、

    私は思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 子どもは戻らない、家は残る

    地方の空き家が増えている理由の一つは、やはり「家を継ぐ人がいない」ということだと思います。

    昔は、長男が家を継ぐという感覚がまだありました。

    地元に残る。

    親と同じ地域で暮らす。

    家や土地を引き継ぐ。

    もちろん全員ではありませんが、そういう流れが普通だった時代があります。

    ですが今は違います。

    子どもは進学や就職で都会へ出る。

    そのまま結婚し、生活の基盤も都会側にできる。

    地方へ戻る理由が少なくなる。

    結果として、親だけが地元に残る形になります。


    大きな家に、一人か二人で暮らす

    私は配達の仕事で地方の住宅地を回っています。

    そこで、

    「この家、子どもは帰ってこないのだろうな」

    と感じる家があります。

    もちろん事情は外からではわかりません。

    ですが、

    高齢の親だけが住んでいる。

    車が1台だけ停まっている。

    庭の手入れが少しずつ減っている。

    昔は家族向けだった大きな家。

    そういう家を見ると、今の地方の現実を感じます。

    昭和の時代には、子どもが独立しても、盆や正月には家族が集まったのでしょう。

    孫の声がして、庭には車が何台も並ぶ。

    そんな風景が普通だったのかもしれません。

    ですが今は、子どもが遠方に住み、年に一度帰省するかどうかという家も珍しくありません。

    家だけが昔のまま残り、暮らし方だけが変わってしまった。

    そんな印象を受けます。


    親は残したい。子どもは引き継げない。

    難しいのは、親世代も、

    「できれば子どもに残したい」

    と思っていることです。

    自分たちが苦労して建てた家です。

    土地も守ってきた。

    住宅ローンを返し終えた時には、大きな達成感もあったと思います。

    簡単に処分する気持ちにはなれません。

    ですが、子どもの側には子どもの生活があります。

    都会で住宅ローンを抱えている人もいる。

    仕事もある。

    子育てもある。

    地方へ戻りたい気持ちはあっても、現実には難しい。

    そうなると、

    「いつか帰るかもしれない」

    と思いながら、結局そのまま時間だけが過ぎていく。

    地方では、そういうケースがかなり多いように思います。


    家が資産とは限らない時代

    しかも最近は、家を相続しても「資産」にならない場合があります。

    売れない。

    貸せない。

    解体費は高い。

    固定資産税だけがかかる。

    相続した側から見ると、

    「どうしたらいいかわからない家」

    になってしまうこともあるのです。

    昔は、家を持つことが安心でした。

    ですが今は、

    家をどう維持するか。

    誰に引き継ぐか。

    あるいは、いつ手放すか。

    そういうことまで考えなければならない時代になりました。


    老後は「家をどう終わらせるか」でもある

    配達中に見かける「売り家」の看板も、そういう流れの中にあるのかもしれません。

    親が亡くなった。

    施設へ入った。

    子どもは戻らない。

    だから、とりあえず売りに出す。

    ですが地方では、買う人自体が少ない。

    看板だけが長く立ったままになっている家もあります。

    老後というのは、お金や健康の問題だけではないのだと思います。

    「家をどう終わらせるか」

    という問題でもある。

    そして本当は、

    家を終わらせることではなく、

    家族が納得できる形で、家の役目を終えてもらうことなのかもしれません。

    地方では、その現実が少しずつ表面に出てきているように感じます。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後

  • 売り家が増えた

    売り家が増えた

    私は昼間、配達の仕事で地方の住宅地を回っています。

    そこで最近、以前より明らかに増えたと感じるものがあります。

    「売り家」の看板です。

    もちろん昔からありました。

    しかし最近は、住宅地を走っていると、数日に一度は目に入ります。

    しかも、その多くはいわゆる新築同然の家ではありません。

    昭和の雰囲気を残した外観。

    少し広すぎる敷地。

    古いブロック塀。

    手入れされなくなった庭木。

    どこか、時代が止まったような家です。

    もちろん、きれいに住まわれていたのだろうと思う家もあります。

    玄関先の植木が整えられ、家の中も大切に使われてきたのだろうと感じる家です。

    ですが正直に言えば、

    「これは売るのが大変だろうな」

    と思う家も少なくありません。

    築年数の問題だけではありません。

    今の住宅と比べると、間取りも、外観も、暮らし方そのものも違うのです。

    昭和の家は昭和の家として完成されています。

    けれど、令和の家とは似て非なるものです。

    車で言えば旧車のような魅力があるかと言えば、そうでもありません。

    家は大きな買い物です。

    よほどの思い入れがなければ、若い世代は新しい家を選ぶでしょう。


    ネットに出ていない家も多い

    不思議なのは、そういう家の多くを、ネットではあまり見かけないことです。

    最近は不動産もネットで探す時代です。

    スマホで条件を入れれば、すぐに物件が表示されます。

    けれど、配達中に見かける売り家の中には、

    「これ、本当にネットに出ているのだろうか?」

    と思うような家があります。

    もしかすると、

    近所の人に声をかけているだけなのかもしれません。

    地元の不動産屋の店頭にだけ出しているのかもしれません。

    あるいは、積極的に売りたいわけではなく、

    「いい人がいれば」

    くらいの気持ちなのかもしれません。

    車を停めて荷物を降ろしながら、

    「誰が買うのだろう」

    「どうやって見つけるのだろう」

    そんなことを考えることがあります。


    家は「安心」の象徴だった

    地方では、家を持つことが長い間「安心」でした。

    土地があり、家がある。

    子どもに残せる。

    老後もそこで暮らせる。

    それが普通の人生設計だったのだと思います。

    ですが今は、その前提が少しずつ崩れてきています。

    子どもは都会へ出る。

    親だけが残る。

    やがて高齢になり、家の管理が難しくなる。

    そして最後に、「売ろう」と思っても簡単には売れない。

    家を持っていることが、そのまま安心とは言えない時代になってきました。


    空き家問題は、もっと静かな問題なのかもしれない

    地方の空き家問題というと、

    法律や税金、

    相続や登記、

    解体費用の話になりがちです。

    もちろん、それらは大切な問題です。

    しかし実際には、もっと静かな変化なのだと思います。

    住む人がいなくなった家が、少しずつ地域に増えていく。

    売り家の看板が、風景の一部になっていく。

    昔は子どもの声がしていた家が、いつの間にか誰も住まなくなる。

    配達をしていると、そんな変化を日々感じます。

    老後と家の問題は、これからますます切り離せなくなるのでしょう。

    そして私は、この静かな変化を、これからもしばらく見続けることになるのだと思っています。


    ※この記事は、筆者がnoteに掲載した記事を加筆修正のうえ転載したものです。

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    地方の空き家と老後